紀州屋良五郎の大衆演劇・上方芸能 通信

大衆演劇については全国の劇場や公演場所に出かけ、その地での公演の所感・演出効果・劇団の印象を綴ります。さらに大道芸や上方落語、講談、音頭、漫才、見世物、大道芸、放浪芸、映画評についても思いつくままに書き留めてまいります。 末永くのおつきあいをよろしくお願いいたします。

▩ 自分の行く道は自分がきめる 過激に生きる。。

〇 まいどおおきに〜時代の気分メモでおます

 

修羅の如く 歌詞

歌:さだまさし

作詞:さだまさし

作曲:さだまさし

人は何故 男と女に 分かれてしまったのだろう
あらゆる哀しみが そこから始まるのに
たとえば愛だけでは 生きてはゆけないけれど
もしも愛なしでは とても 生きられない

次に男に 生まれたならば
修羅の如く 激しく生きるだろう
日が沈み また昇るように 生命くりかえし
子供のような瞳で眠るだろう

次に女に 生まれたならば
母の如く 強く生きるだろう
悲しみを悲しみとして 受け止めながら
疲れた修羅を 抱いて眠るだろう

人は何故 光と影に 分かれてしまったのだろう
あらゆる憎しみが そこから生まれるのに
たとえば雨のなかで 日差しに憧れても
やがて日差しのなかで 雨を恋しがるだろう

次に女に 生まれたならば
天女の如く 柔らかく生きるだろう
喜びを喜びとして 受け止めながら
悲しい修羅を 愛して生きるだろう

次に男に 生まれたならば
修羅の如く 激しく生きるだろう
寄せては返す 波のように 生命くりかえし
愛しい人を 守って生きるだろう
寄せては返す 波のように 生命くりかえし
愛しい人を 守って生きるだろう

 

 

夢の轍
Amazon(アマゾン)
2,220円

 

さだまさしライブべスト(Vol.1)
Amazon(アマゾン)
2,220円

 

 
〇 行き詰まる時代の気分がある、何かを怖がり、何かを期待し縋る。周りを見てしか決められない。右習えで待ってもなにもくれないのに。総おねだり状態には異論あり、補償もないのに、給付もないのに総依存ムード、決定までも人任せ、自分の生き方ぐらい自分がきめられないでどうする。食えなくなれば食えるようにするだけ、今は乱世、戦乱の世。頼れないものはあてにしない。敵の寝首をかくのもありだ。修羅の如く。
 
 
わたしの好きな詩 
 
茨木のり子 『倚(よ)りかからず』
 
※73歳の作品

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
 
 
 
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね
 

 

倚りかからず (ちくま文庫)
Amazon(アマゾン)
58〜3,300円

 

医療崩壊は日本ではおこらない