紀州屋良五郎の大衆演劇・上方芸能 通信

大衆演劇については全国の劇場や公演場所に出かけ、その地での公演の所感・演出効果・劇団の印象を綴ります。さらに大道芸や上方落語、講談、音頭、漫才、見世物、大道芸、放浪芸、映画評についても思いつくままに書き留めてまいります。 末永くのおつきあいをよろしくお願いいたします。

▩ ドキュメンタリー映画『淀川アジール』を見た

◎ まいどおおきに映画メモでおます~さては皆さん、この映画

 

 

・所感 以外は第七芸術劇場のサイトからの引用

 

 

 

淀川アジール さどヤンの生活と意見

 
「人間の仕事は生きることや」 「普通(Yodogawa)で特別(Azir)な日常」 長期の不況、自殺の増加、自然災害、感染症の不安・・・ 窮屈で息苦しい時代の中 20年前から大阪淀川河川敷の掘立小屋に暮らす ”さどヤン”のミニマム・シンプルライフを漫画を交えて ユーモラスに描いたドキュメンタリー。 目の前の川で蜆を採ったり、ハゼを釣ったり、 街に出て、アルミ缶集めや清掃の仕事、必要なものは自分で作る。 何でもそろっているが、余計なものは持たない。 超低空飛行のダンディズム。そう呼ぶ人もいる。 一貫した清潔な生き方、きれいな生き方、こじらせない生き方。 だが、世間から見れば、ただのホームレス。 大好物は、読書、ラジオの競馬中継、テレビの相撲中継。 酒とタバコは手放さない。あくまでマイペース。 自らの体験を「河川敷停留所日記」と題してノートに記す。 「天狗先生」「猫屋敷住人の孤独死」「殺人事件」「タイ人ユキ」・・・ 幾つかのエピソードから、人間・社会・時代が透けて見えてくる。 珍客万来、人や物や動物までもが集まってくる。 さどヤンの視線は不変、向かい合うのではなく同じ方向を見つめる。 フランクにフェアに、そして、何よりもフリーに。 さどヤンの生き方は、優しくて難しい。簡単で複雑、厄介で面倒だ。 そのことに気づいた時、さどヤンの生き方は一つの示唆・啓示となる。 ”希望”は、そこに生まれる。
 
【私の所感】
場所は淀川河川敷、ホームレスのさどヤンはここを田舎と呼ぶ。川向こうには梅田スカイビルが見える大阪の繁華街。
 
 生きるのがなんとなくけだるくなった人、孤独のやるせなさに堪えきれない人にとくに見て欲しい映画だ。
 
何もないのが一番強いことを教えてくれる。何かあると守りたくなる。さどヤンが逞しく見えるのは「どどのつまり」を見たからだ。
 
幾人もの生き方を見て、思うにままならない人生だと達観する。何かの為に生きるのではなく生きているから楽しもうという割り切りナノだ。これはもう達人級の生き方名人ナノだ。
 
ホームレスがエコの先端生活をする。拾ったソーラーで発電し無料の電気で楽しく暮らす。
 
そんなさどヤンはとてつもなく優しい。釣り人がキズつけた一本足のハトに優しい声をかけ、老衰の愛犬に寄り添い介護する。捨てられた生き物達の救世者でもあるのだ。
 
たとえ、どんな時代が来ても、コロナにかかって病院に入れなくても、バイト・派遣を解雇されてカネが尽きても、学費が払えず退学になっても人生の希望はある。河川敷でサバイバルって「鬼滅の刃」並に格好いい。伊之助の再来か‥
 
さどヤンは教えてくれる。「何もなくても」生きていけることを‥この映画を見たら人は強くなれるかもしれない。いや、諦め、絶望が消え希望が見えてくるまるでマジックを見るみたいに。