紀州屋良五郎の大衆演劇・上方芸能 通信

大衆演劇については全国の劇場や公演場所に出かけ、その地での公演の所感・演出効果・劇団の印象を綴ります。さらに大道芸や上方落語、講談、音頭、漫才、見世物、大道芸、放浪芸、映画評についても思いつくままに書き留めてまいります。 末永くのおつきあいをよろしくお願いいたします。

▩ 映画『生きろ 島田叡』をみた 大阪府の部長から沖縄県知事になった男の物語

◯ まいどおおきに映画メモでおます~ドキュメンタリー映画であります

 

大阪府知事 吉村さんにみて欲しいとおもう映画です。

生きろ 島田叡
-戦中最後の沖縄県知事

2021年 / 日本 / 118分 / アーク・フィルムズ 配給

監督佐古 忠彦

プロデューサー藤井和史、刀根鉄太

語り山根基世津嘉山正種佐々木蔵之介

公式サイトhttp://ikiro.arc-films.co.jp/

 

◯ 戦中の沖縄県知事のドキュメンタリーだ。この方のことは初めて知った。

大阪の官吏からいきなり沖縄県の知事になる。しかも出身は神戸・垂水なのだ。

命を張った知事はまさにトップリーダーの鏡だ。

 

言い訳ばかり、自己弁護ばかりのどこかの知事に見せたい映画である。

 

悲しいが最後は責任をとって自決の道を選ぶ。激しい沖縄戦、はじめて地上戦の場所になったのが沖縄の地だ。本土から派遣された軍部は沖縄を守るのではなく盾として、水際で米軍をくい止める目的のため防戦する。

 

方言がスパイ用語として禁じられ

三線をつま弾き陽気に歌う沖縄の文化までも禁じていく。どこか今の日本風景と似てきている。

酒は飲むな。明かりは消せ。外出はするなと。強権的なやり口は身の毛がよだつほど似てきている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯あらすじ◯

 

俺は死にとうないから誰かが行って死んでくれとは、よう言わん
アジア太平洋戦争末期。すでに日本軍の敗色濃厚だった1945年1月31日、一人の男が沖縄の地を踏んだ。戦中最後の沖縄県知事・島田叡(しまだ・あきら)である。前年の10月10日、米軍による大空襲によって那覇は壊滅的な打撃を受け、行政は麻痺状態に陥っていた。そんな中、内務省は新たな沖縄県知事として大阪府の内政部長、島田叡に白羽の矢を立てた。辞令を受けた島田は、家族を大阪に残し、ひとり那覇の飛行場に降り立ったのである。 知事就任と同時に、島田は大規模な疎開促進、食料不足解消のため自ら台湾に飛び、大量のコメを確保するなど、さまざまな施策を断行。米軍が沖縄本島に上陸した後は、壕(自然洞窟)を移動しながら行政を続けた。だが、戦況の悪化に伴い、大勢の県民が戦闘に巻き込まれ、日々命を落としていく。また、島田自身も理不尽極まりない軍部からの要求と、行政官としての住民第一主義という信念の板挟みになって苦渋の選択を迫られる―。 戦時下の教育により、捕虜になるよりも自決や玉砕こそが美徳とされた時代、島田はしかしそれに反し、周りの人々に何としても「生きろ」と言い続けていた。その考え方はどのように育まれてきたのか? 玉砕こそ美徳、という考えに抗い、一人でも多くの命を救おうと力を尽くした官吏の記録 沖縄戦を生き延びた住民、軍や県の関係者、その遺族らへの取材を通じ、これまで多くを語られることのなかった島田叡という人物の生涯と、語り継ぐべき沖縄戦の全貌に迫ったこの長編ドキュメンタリーは、『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』2部作で沖縄戦後史に切り込んだ佐古忠彦監督が、牛島満・第32軍司令官から島田にあてた手紙など、新たに発掘された資料も交え、沖縄の知られざる戦中史に迫った野心作だ。 語りは、山根基世津嘉山正種、そして佐々木蔵之介が島田叡の語りを担当。小椋佳の主題歌『生きろ』はオリジナルで作られ、自身のラストアルバム「もういいかい」にも収められている。 権力者への忖度(そんたく)、資料の改竄(かいざん)や隠蔽(いんぺい)が常態化し、政治不信が蔓延する21世紀・令和の時代に生きる私たち日本人の眼に、後に「官僚の鑑」(かがみ)、「本当に民主的な人」と讃えられた島田叡という人物の生き方はどのように映るだろうか。