〇 まいどおおきに〜映画メモでおます
2021年5月、 入管の収容者に対する非人道的な行為や環境を問題視する世論の高まりを背景に、 入管法改正案は事実上の廃案となった。 しかし、本作に登場する人々が置かれている過酷な状況は何も変わらない—故郷での迫害を逃れ、小学生のころに日本へやってきた オザン(18歳)とラマザン(19歳)二人は難民申請を続けるトルコ国籍のクルド人。入管の収容を一旦解除される「仮放免許可書」を持つものの、 許されているのは「ただ、いること」。立場は非正規滞在者で、住民票もなく、 自由に移動することも、働くこともできない。また社会の無理解によって教育の機会からも遠ざけられている。いつ収容されるか分からないという不安を常に感じながら、 それでも夢を抱き、将来を思い描く。「難民条約」を批准しながら 難民認定率が1%にも満たない日本。 救いを求める人びとに対する差別的な仕打ち。 希望を奪っているのは誰か?救えるのは誰か?2019年3月、東京入管で事件が起きた。長期収容されていたラマザンの叔父メメット(38歳)が極度の体調不良を訴え家族らが救急車を呼んだ。しかし、入管は2度にわたり救急車を追い返した。メメットが病院に搬送されたのは30時間後のことだった。在留資格を求める声に、ある入管職員が嘲笑混じりに吐き捨てた。“帰ればいいんだよ。他の国行ってよ”5年以上の取材を経て描かれるオザンとラマザンの青春と「日常」。そこから浮かび上がるのは、救いを求め懸命に生きようとする人びとに対するこの国の差別的な仕打ちだ。かれらの希望を奪っているのは誰か? 救えるのは誰か?問われているのは、スクリーンを見つめる私たちだ。
〇 見たまま、感じたまま 〇
この映画をとおして日本のもうひとつの姿が見えてくる。
我が国は、条約を認定し、難民を受け入れている。
しかし、それは、単に、世界の流れに形式的に追随したに過ぎない現実をこの映画は語っている。
彼ら彼女らが生きていく上での全人的な支援を全くおこなってこなかったのが日本の姿だ。
それは、長きに及び、今やその子弟にまで大きな影響を与えている。
オザン、ラマザンの二人を通して、日本語を母国語として育ってきた難民二世の未来を見据えなにをすべきなのか、今、何が必要とされているのか衝撃を受けるほど考えさせられた。
さらに、内なる外国人に対して住民としての基本的な権利や周辺の法的なサポートも余りにも粗雑であることに愕然とする。
日頃、接する機会が少ない問題故に映像をとおして考えることがいかに大切であるかを考えさせられる。
難民の問題・課題は同時に内なる問題でもある。非正規労働、フリーター、シングルマザー
などの労働弱者、困窮する人々に対する課題と同根であるからだ。