紀州屋良五郎の大衆演劇・上方芸能 通信

大衆演劇については全国の劇場や公演場所に出かけ、その地での公演の所感・演出効果・劇団の印象を綴ります。さらに大道芸や上方落語、講談、音頭、漫才、見世物、大道芸、放浪芸、映画評についても思いつくままに書き留めてまいります。 末永くのおつきあいをよろしくお願いいたします。

▩ 映画『サンマデモクラシー』を見た

〇 まいどおおきに〜映画メモでおまんねん

 

 

 

 

 

 

サンマデモクラシー

2021年 / 日本 / 99分 / 太秦 配給

監督
プロデューサー
山里 孫存

ナビゲーターうちな~噺家・志ぃさー

ナレーター川平 慈英

公式サイトhttp://www.sanmademocracy.com/

前売券1,500円 キラキラステッカー付【公開初日前日まで販売】

統治者アメリカを相手に人々が訴えたのは、民主主義とはなんだ?という単純な問いかけだった。
米軍の占領下にあった沖縄で、ひとりのおばぁが起こしたサンマの関税に関する裁判を入口に、自治権をかけて統治者アメリカに挑んだ沖縄の人々ドキュメンタリー。市民と政府の民主主義を巡る闘いに迫ったのは沖縄テレビ。監督は『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』のプロデューサー、山里孫存。ナビゲーターは、うちな~噺家 志ぃさー、ナレーションを川平慈英が務める。
沖縄史に埋もれた伝説のサンマ裁判を描き出すノンストップドキュメンタリー
1963年沖縄。祖国復帰を願う沖縄の人々が、日本の味として食べていたサンマ。サンマには輸入関税がかけられていたが、その根拠は琉球列島米国民政府高等弁務官布令、物品税法を定めた高等弁務官布令十七号(1958年公布)。だが、関税がかかると指定された魚の項目に、サンマの文字はなかった。そこで「関税がかかっているのはおかしい!」と、魚卸業の女将・玉城ウシが、琉球政府を相手に徴収された税金の還付訴訟を起こした。求めた額は、現代の貨幣換算でなんと7000万円。このウシおばぁが起こした“サンマ裁判”は、いつしか統治者アメリカを追い詰める、民主主義を巡る闘いとなった。裁判を展開した人々の視線の先には、帝王と恐れられた1961年初めから1964年夏まで第3代高等弁務官を務めたポール・W・キャラウェイがいた。 キャラウェイ高等弁務官は、沖縄経済の改革に尽力したが、布令を何度も発令して民衆を縛り付け、本土復帰運動をも弾圧した施政を展開。沖縄のメディアはその猛威をキャラウェイ旋風と名付けた。 キャラウェイ高等弁務官に挑んだウシおばぁのサンマ裁判をきっかけに、その裁判を支えた弁護士であり、大きなことを言うことからラッパと呼ばれた政治家・下里恵良、“米軍(アメリカ)が最も恐れた政治家”・瀬長亀次郎らの行動をたどり、統治者アメリカと自治権をかけて闘った人々の姿を伝える。

 

〇 見たままを感じるままに 〇

サンマデモクラシーのタイトルに引きつけられる。

 

沖縄に関連するドキュメンタリーはたいてい見てきたつもりだが『サンマ裁判』のことはこの映画で初めて知った。

 

沖縄に人達は本土復帰前から米軍高等弁務官により数々の迫害を受けてきた。この映画はその一端を記す貴重なドキュメンタリーだ。しかも最後まで見たらわかるが実におもしろいオチがあるドキュメンタリーなのだ。

 

主人公は玉城ウシという名の女傑。糸満の魚屋の女将さんで米軍から不当なサンマ税(物品税)20%を課税され、口にも入らなくなくなった大衆魚を巡って立ち上がりついに裁判で不当を認めさせるまでを描いた映画である。政治とはなにかの原点がここに甦る。

 

暮らしをかえるのには政治への関心をもたなくては為政者の思い通りの世の中にされてしまうことを教えてくれる貴重な映画だ。

 

1966年ころの出来事だか心構えや世の中の見方は今となんら変わらない。云うべき事をいい、不当なことに立ち上がる勇気をもてば、裁判も、政治も変えられる事を事実として教えてくれている。

 

もちろん、あのアメリカが最も恐れた男・瀬長亀治郎も援護者として登場。ダイナミックに動かす生きた政治のモデルがここに息づいている