紀州屋良五郎の大衆演劇・上方芸能 通信

大衆演劇については全国の劇場や公演場所に出かけ、その地での公演の所感・演出効果・劇団の印象を綴ります。さらに大道芸や上方落語、講談、音頭、漫才、見世物、大道芸、放浪芸、映画評についても思いつくままに書き留めてまいります。 末永くのおつきあいをよろしくお願いいたします。

▩ 劇団神龍 華舞台 星天座 2022/12/05

〇見てもろておおきに〜まいどおなじみの観劇メモでおます

☆ 華舞台 星天座公演スケジュールの案内

01   澤村千夜

02  嵐瞳劇

03  森川劇団

 

 

☆ 劇団神龍公演スケジュール

01  羅い舞座堺東

02

03

04  南座

05  弁天座

 

〇劇団神龍の強みは強力なファンと座長の脇を固める役者のレベル。

 

メンバー

 

座長  澤村神龍

澤村龍馬

澤村冬華

澤村秋華

澤村春音

澤村武尊

音羽三美

成駒・中村駒二郎

 

☆ ゲスト  澤村龍聖、川上鶴次郎

 

 

☆ 芝居 「三浦屋孫次郎」

 

配役

三浦屋孫次郎‥澤村神龍

飯岡助五郎‥中村駒二郎

成田甚蔵‥澤村龍馬
笹川一家おしげ‥音羽三美

笹川繁蔵‥川上鶴次郎
笹川一家代貸・勢力富五郎‥川上鶴次郎
飯岡一家 用心棒 聖天徳次郎‥澤村龍聖

ほか

 

【あらすじ】

 

笹川の縄張りを荒らしたために報復されたにも関わらず、腹の虫の収まらない飯岡助五郎は、子分の三浦屋孫次郎に、笹川繁蔵を闇討ちして来い、と命じる

 

勘弁してくれと孫次郎は断る。孫次郎は、7年前旅の途中で病の母と知恵遅れの妹を抱え途方に暮れてた時、笹川繁蔵に助けられた恩があったのだ。

 

だが助五郎は、親の言うことが聞けねえのか、一回の恩と7年間の恩とどっちが重いんだ、と孫次郎を許さない。

 

孫次郎は仕方なく笹川繁蔵を待ち伏せし、刀を抜くもそれは形だけで、繁蔵に斬られて自分は死ぬつもりだった。

 

その様子を見抜いた繁蔵は、訳を聞こうとするが、その刹那、見届け人として隠れていた成田屋に後ろから刺されてしまう。とどめを刺そうとする成田を、孫次郎が斬ってしまう。

 

繁蔵親分7年前の恩を仇で返すようなこととなり申し訳ありやせん、と詫びる。

 

繁蔵は、おめえはあの時の若者か、おっかさんは達者かい、と母の心配までしてくれた。

さらに、俺の首がなければおめえが困るんだろう、なら首をとれとまで言ってくれた。

 

そんなことはできないと躊躇する孫次郎をみて、繁蔵は自ら腹を突いた。今わの際で繁蔵は、俺の首を持って行き身のあかしを立てたなら、そのあと首を笹川一家へ届けて欲しい、と孫次郎に託し絶命。

 

孫次郎は、繁蔵の首を持って一家へ戻り、飯岡助五郎に見せると、助五郎は繁蔵の生首にタンを吐き凌辱したうえで、孫次郎、おめえは破門だ盃は水にする、と言い渡す。

 

7年間飯岡に仕えた仕打ちがこれでえござんすか、と孫次郎は一家を去る。そして繁蔵の首を持ち、笹川一家へ届けにいくのだった。

 

笹川一家では、首のない繁蔵の弔いで姐さんや若い衆が悲しみに沈んでいた。孫次郎は、繁蔵の首を差し出し、笹川一家代貸の勢力富五郎と対峙する

 

 壮絶極める座長の名演 余韻のある

三浦屋孫次郎    感動の拍手が響く‥

 

 

☆ 舞台口上 (座長 澤村神龍)

・前売り券&グッズ販売

 

 

 

 

 

☆ 花の舞踊絵巻 

 

 

ラストステージ‥Trigger

 

 

【画像】

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㊗️劇団神龍は旗揚げ5年周年を迎えた、おめでとうございます・紀州屋良五郎

 

 

 

参考・講談  三浦屋孫次郎

 

三浦屋孫次郎の義侠

 

 飯岡助五郎による笹川殴り込みの結果、お咎めを受けたのは笹川繁蔵方のみ。繁蔵一家は離散。繁蔵は凶状持ちの旅に出た。

 

伊勢詣りから上方へ。三年後、下総の国へ戻ってきた繁蔵。一番に訪れたのは飯岡助五郎の家。助五郎は留守、と偽る子分に、首を洗って待っていろと啖呵を切って助五郎宅を後にする。繁蔵が戻った十一屋には再び子分たちが集まってくる。

 

 弘化四年の夏、繁蔵は竹という若者を伴にして大山詣りに出かける。江の島鎌倉を回り、須賀山に戻ってきたのは七月四日のこと。身内の篠宮権太(しのみや  ごんた)の元へ足休めに寄った繁蔵は、竹を先に帰らせる。

 

外に出た竹は須賀山の地主平左衛門と出くわし、繁蔵が権太の家で休んでから帰る旨を話す。飯岡の助五郎と通じている平左衛門は、待ち伏せして繁蔵を討つ絶好の機会だと、助五郎の身内である成田甚蔵(なりた  じんぞう)と三浦屋孫次郎へ告げる。

 

 酒に酔っていたこと、折しも長旅で草履の紐が弱っていた悪運も重なり、百橋(びゃくばし)で甚蔵と孫次郎の手にかかり繁蔵は命を落とす。時に繁蔵三十八歳であった。

 

 繁蔵の首を持ち帰った孫次郎だったが、繁蔵の首を前にして無礼な態度をとる助五郎にあきれ果て、首を十一屋へ帰す許しを求め、また、助五郎と親分子分の縁を切ってほしいと申し出て助五郎の元を後にする。

 

 一方、笹川では百橋で首のない死体が見つかり、それが繁蔵であると判明し騒然となっていた。そこへ孫次郎がやってきて、繁蔵を手に掛けた顛末と、首を返しに来た事情を語る。死を覚悟した孫次郎に感心した清滝の佐吉は、怒りと悲しみにくれる仲間たちを諭し、もう恨みは消えたと孫次郎に許しを与える。

 

捨てた命を佐吉の恩情に救われた孫次郎は、己の髻(もとどり)を落とし、繁蔵の菩提を弔うため姿を消した。

 

 女房のお豊が碑を建てねんごろに葬ったのは明治七年のことである。