〇 こんな映画見ました。衝撃の話題作 REVOLUTION+1
2022年 / 日本 / 75分 / 太秦 配給
監督足立正生
出演タモト清嵐 ほか
《あらすじ》※ 第七芸術劇場サイトより引用
足立正生監督の 6 年ぶり新作は、2022年8月末に密かにクランクインし、8 日間の撮影、間髪入れずに編集作業に突入、クランクインから一月後にはダイジェスト版を国葬当日に緊急上映を行うという離れ業を演じた。
それで映画が持つ本来の荒々しいスピード感を 83 歳の監督が、取り戻した。しかし、それでは終わらない、完成版を劇場公開する。描くは、安倍晋三元首相暗殺犯の山上徹也容疑者。
この国は、安保法制や共謀罪がそうであったように、国民の大半の反対意見があるなかで、安倍晋三氏の国葬も強行された。民意をも無視を決め込み、国会は機能を停止し、ジャーナリズムも頼りなく、そのような状況下、足立正生は、再び、映画の持つ創造力と荒々しいスピードを取り戻す。
山上容疑者の犯行を人はテロと呼び、民主主義への最大の挑戦と呼んだ。しかし、それは本質をついているだろうか。豈図らんや彼の行動は、自民党のみならず日本の政治家と統一教会の尋常ならざる癒着ぶり、保守を標榜する政党の爛熟の果ての退廃ぶりが公に晒された。
この映画はもちろん、その是非を問うものではない。しかし、シングルマザー、宗教二世、派遣労働と、この国の貧困を体現してきた一人の男が自分と対極にある一人の男を暗殺する、それに至る過程を描くことで、この国に決定的に欠けているものを知らしめることになるのではないだろうか。
脚本は『止められるか、俺たちを』の井上淳一と足立の共作。撮影は髙間賢治。主演は『連合赤軍 あさま山荘への道程』『止め俺』のタモト清嵐。製作は、数々のライブハウスを経営するロフトプロジェクト。
僕は、星になれるのか
川上哲也は、一人、ずっと暗闇の中で生きてきた。記憶のある明るい時間は、父が生きていた時代。普通よりは裕福な家庭で育ち、父が経営する会社も順調、優しい母、頼もしい兄と可愛い妹に囲まれて何不自由のない生活を送っていた。
しかし、仕事と人間関係に疲れ果てた父の自殺からすべてが一変する。兄は癌の治療、転移よる後遺症で片目を失明し自暴自棄となり、妹は急に貧しくなった生活に戸惑い反抗的になる。徹也は、目指していた大学進学の道を断念する。母は、すがる思いで統一教会に入信する。そして、父が命をかけて家族のために残した生命保険も教団の言うがままに献金を繰り返し、すべてを使い果たして、遂には自己破産をしてしまう。
そんな時、母を奪い返すために教団の施設に向かった兄は、屈強な教団職員に囚われの身となる。最も親しみを感じ、頼りにしていた兄も、絶望の果てに自死する。それ以来、希望も失い暗闇のなかを彷徨っていた。自分を、家族をここまで追い込み、すべてを失わせた元凶である教団への復讐を誓う。かつて自衛隊にいたときの経験を思い出し、改造拳銃を自分の部屋に閉じこもり作り続ける、確かな目的もなく。
孤独の中で哲也は「僕は星になれるのか」と瞑目する。突然、元首相が、自分が育った場所に選挙応援でやってくることが知らされる。早朝、身を整理した哲也は、静かに部屋を出る。
しかし、不思議なのは、ふつう3ヶ月の鑑定留置期間が理由不明のまま年を越す事態になってる。どうしてなのだろう?
映画の中の救いは最後に表現されている妹さんの独白だ。わたしがもし、近親者なら多分、同じ思いを語るだろう。
さらには、精神的に不安定であっても異常な人物として主人公が描かれていないことに共感できる。
事件直後には公開にストップがかかった話題作だ。
いち早く、見ることができ、また深く考える契機を得た。作品にし、世に問うた足立監督に感謝を惜しまない。
のち、この事件を歴史に留めようと慰霊碑を建てる話が惹起したのに一体、誰が止めて、沙汰止みになったのか。
早く消し去りたい力が働いているように思えてならない。だのに、山上容疑者の鑑定留置を引き延ばしているのは何のためなのか
その理由を国民は知りたいと思っている。警備上の不始末を覆い隠すためであったとするなら由々しい問題である。
統一教会の闇、それに向ける世論・国民の関心を風化させる何らかの力が働いたとしても、片時も忘れ去ってはならない事実だ。
「宗教カルトと政治家の利用」「宗教カルトと家族」
この問題は「宗教と政治の問題」の問題であり、更に言えば、宗教団体組織にかかわる問題である。
この映画はさまざまな事を考える契機になった。まっ正面から考え、風化させてはならない。
もっとも、残念なことはこの映画を見ている人たちの多くは人生の後半を生きる人たちで締められ、若い人たちの姿がマレであったことだ。
今生きる若き人たちよ、この事件を通し現実の世の中を、政治を、宗教をどうか問い直して欲しいと願わざるをえない。