紀州屋良五郎の大衆演劇・上方芸能 通信

大衆演劇については全国の劇場や公演場所に出かけ、その地での公演の所感・演出効果・劇団の印象を綴ります。さらに大道芸や上方落語、講談、音頭、漫才、見世物、大道芸、放浪芸、映画評についても思いつくままに書き留めてまいります。 末永くのおつきあいをよろしくお願いいたします。

▩ 映画『前科者』を見た

◯ まいどおおきに~映画メモでおます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

罪を犯した者、非行のある者の更生に寄り添う国家公務員、保護司。保護司を始めて3年の阿川佳代(有村架純)は仕事にやりがいを感じ、様々な「前科者」のために奔走していた。そんな中、佳代が担当している物静かな工藤誠(森田剛)は更生を絵に描いたような人物で、佳代は誠が社会人として自立する日は近いと楽しみにしていた。しかし、誠は忽然と姿を消し、再び警察に追われる身に。一方その頃、連続殺人事件が発生。捜査が進むにつれ佳代の壮絶な過去や、若くして保護司という仕事を選んだ理由も次第に明らかになっていき――。

 

◯ 私の見たまま・感じたまま ◯

主人公・佳代が保護司になった経緯や家庭状況はわからない。しかし、無報酬の国家公務員である保護司になったのには計り知れない体験があっただろうと推察される。

 

若い年代で自らパート勤めをしながら任務をこなす。やや、現実味にかけるところは目を瞑るとして。眩いばかりの有村架純の多才な演技が引きつけてやまない。

 

事件の背景は簡単に語りえない。たとえどんな事件であれ深くもつれた事情がある。それが謎解きのようにほぐされて、霧中に光が差し込み少しずつわかってくる。

 

僅かな掛けちがいで被害者となり、あるいわ加害者にもなりうる。ちょっした差異が立場をわかつ。厳しいがそれが現実だ。法に情状酌量はない。

 

しかし、ひとたび押された烙印は並大抵のことでは拭いされない。保護司であってもできることには限りはある。しかし、寄り添うという一点があるかないかで再犯の芽を摘むことができる。

 

前科者、再犯者という暗く、重いテーマであるが

有村架純の好演、その屈託のないさわやかさと嘘のない心情でまるで菩薩のように輝いて見えた。

 

余談だが刑執行の決定にあたる法務大臣ならびに法務官僚は退官後、保護司として無給奉仕で「前科者」に寄り添い更生のボランティアを義務づけたら何かが見えてくるに違いないとふと思った。