〇 淡々と見たいと思った新作の映画を見ている。これには、ワケがあってフィールドワークとしている大衆演劇にいまひとつ気が乗らないからだ。
〇予告編
STORY
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夫・文則(田村健太郎)との仲が冷え切っていた綿子(門脇麦)は、友人の紹介で知り合った木村(染谷将太)と度々会うようになるが、木村との関係を揺るがす出来事が発生したことで、穏やかな日常の歯車が狂いだしていく。綿子は過去のことを思い返すうちに、夫や周囲の人々、そして自分自身と向き合う。
- キャスト
- スタッフ
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監督・脚本:加藤拓也
音楽:石橋英子
撮影:中島唱太
照明:高井大樹
編集:日下部元孝
美術:宮守由衣 - 上映時間
- 84分
〇 私の見たまま、感じたまま 〇
タイトルは『ほつれる』だが見ている私の頭の中がほつれる映画である。
考えながら見るときっと肩が凝る。人間関係にまじに向き合うということがこれほど息詰まるものかという事に気づかせてくれる教科書的映画だ。だから、肩が凝ることは請け合いだ。疲れている人、ほっと息抜きをしたい人は避けた方がよい映画のひとつだ。
夫婦が分析的で理詰めで、それでいて、互いをきづ付けないように言葉を選びながらの関係なら息苦しくてたまらない。まして、言葉を吟味して羽毛でふれるように気遣いながら会話する。
これは標準語だからさまになるしクールに刺さる。
人と人の関係、まして夫婦ならできれば、空気のような関係が楽だ。
すべてを言語化せずに、説明無しにわかり合えたらストレスなどというものに見舞われることなどないものをとふと思ってしまう。
でも今は、適度な間合いが必要なぐらい互いを傷つけ合う時代なのかもしれない。
かなり飛躍するが、方言とはありがたいものだ。
「おまはん、いったい、何が言いたいんよ」「そんな、かったるいこというとったらあかなよ」
「あんた、これは、浮気やで、あほちゃうか、すぐバレる証拠残してあんたはアホや」
「ええ加減にせなドたまぶちかますで、ほな、さいなら」のほうが余韻があって、人間関係がおもろなる。
しかし、この映画、大阪弁か和歌山弁でやったらきっとオモロいと思うなー。ほな。
方言は人間関係の接着剤なり。