〇 忘れてはならない出来事をこころに深く刻みたい。
〇 予告編
〇 概要
2023年 / 日本 / 137分 / 太秦 配給
監督森達也
関東大震災直後に千葉県福田村で起きた実際の虐殺事件を題材に、『A』シリーズなどの森達也が監督を務めたドラマ。
- スタッフ
- 監督:森達也、企画・脚本:荒井晴彦、脚本:佐伯俊道、井上淳一、企画協力:辻野弥生、中川五郎、若林正浩、統括プロデュ―サー:小林三四郎、プロデュ―サー:井上淳一、片嶋一貴、アソシエイトプロデュ―サー:内山太郎、比嘉世津子、音楽:鈴木慶一、撮影:桑原正、照明:臼井勝、美術:須坂文昭、装飾:中込秀志、衣裳:真柴紀子、ヘアメイク:清水美穂、編集:洲崎千恵子、助監督:江良圭、スチール:佐藤芳夫、メイキング:綿井健陽、美術監修:磯見俊裕、キャスティング:新井康太、東山光宏
- キャスト
- 井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、コムアイ、松浦祐也、向里祐香、杉田雷麟、カトウシンスケ、木竜麻生、ピエール瀧、水道橋博士、豊原功補、柄本明
100年の時を超え、遂に、実話に基づいたかつてない日本映画が公開された。1923年9月1日11時58分、関東大地震が発生した。
そのわずか5日後の9月6日のこと。
千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。
行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。 逮捕されたのは自警団員8人。
逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された…。これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団真理は加速し、群衆は暴走する。
これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語。
大正デモクラシーの喧騒の裏で、マスコミは、政府の失政を隠すようにこぞって「…いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽り、市民の不安と恐怖は徐々に高まっていた。そんな中、朝鮮で日本軍による虐殺事件を目撃した澤田智一(井浦新)は、妻の静子(田中麗奈)を連れ、智一が教師をしていた日本統治下の京城を離れ、故郷の福田村に帰ってきた。同じ頃、沼部新助(永山瑛太)率いる薬売りの行商団は、関東地方へ向かうため四国の讃岐を出発する。長閑な日々を打ち破るかのように、9月1日、空前絶後の揺れが関東地方を襲った。木々は倒れ、家は倒壊し、そして大火災が発生して無辜なる多くの人々が命を失った。そんな中でいつしか流言飛語が飛び交い、瞬く間にそれは関東近縁の町や村に伝わっていった。2日には東京府下に戒厳令が施行され、3日には神奈川に、4日には福田村がある千葉にも拡大され、多くの人々は大混乱に陥った。福田村にも避難民から「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」との情報がもたらされ、疑心暗鬼に落ち入り、人々は恐怖に浮足立つ。地元の新聞社は、情報の真偽を確かめるために躍起となるが、その実体は杳としてつかめないでいた。震災後の混乱に乗じて、亀戸署では、社会主義者への弾圧が、秘かに行われていた。そして9月6日、偶然と不安、恐怖が折り重なり、後に歴史に葬られることとなる大事件が起きる――。
〇 私のみたまま、感じたままに 〇
クローズアップ現代 集団の“狂気”なぜ
~関東大震災100年“虐殺”の教訓~
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023083016922
そこには“殺傷”に関する目撃証言が綴られていた―。関東大震災から間もなく100年。今年、存在が明らかになった当時の小学生の未発表作文集の中に、朝鮮人などの殺傷に関する記述が多数含まれていることが分かりました。当時何が?独自取材で迫りました。映画監督・作家の森達也さんは、かつて千葉県福田村で起きた日本人が朝鮮人に間違えられ殺害された事件に注目し、映画化に挑みました。なぜ集団はパニックに陥り残虐な行為は起きたのか。
〇 私の見たまま、感じたまま 〇
私は、もう少し、別の視点で考えてこの映画をみた。江戸時代から続く差別制度の悪弊は当時も、そして今に至るも埋み火のように精神史の中に深く刻まれている。士農工商の身分制である。さらに貧農の下にも『えた』・『ひにん』という身分をもうけ、特定の職業に携わる人たちを蔑視する慣習をつくっていった。後の部落差別の淵源である。
明治の太政官布告で身分制は制度として一応のかたちはなくなるも人々の慣習・習俗の中で生き続け今日まで部落差別のえんげんとなっている。瞽女といわれた盲目の芸能者もそのひとりであり、その流れの中にある。
かつて、三波春夫が放浪芸の天地と冠し各種の芸能を集大成し、出版し、公演した。
阿呆陀羅経、祭文、ちょんがれ、など今の浪曲・民謡のルーツともいえるものから薬草売り、ろくまと呼ばれる大道易者、曲芸、軽業、三味線弾きなどなど‥
この映画に登場する一行も旅をさすらすいう芸能者であったようだ。大道芸の中にも『薬草売り』『行者ぶち』というものがあり、事件に遭遇した彼らもまた、そうして商いをした一行だった。
震災の動乱と心理不安のなか、流言飛語で朝鮮人に向けられたいわれなき差別の輪がやがて、部落差別や放浪する芸能者にも向けられていたことに私は胸の痛みに耐えられない。旅する芸能者はかつてはそのように見られ、浪曲師や歌舞伎役者、猿回しもすべてたどればみな同じルーツに行き着く。
その場に居ること自体が不都合な者たちとして反政府運動に携わるもの、平和を叫ぶもの、共産主義者、解放運動に賛同するものなどもひとくくりにされ抑圧されゆく姿がこの映画には鮮明に写されている。
トップスターであった美空ひばりも都はるみも力道山などもすべてその出自の中から生まれ出で、日本の大衆文化史に名が刻まれていった事を記憶しなければならないと思う。
在日外国人差別、被差別部落差別を知れば知るほど、歌舞伎をはじめとするいわいる『古典芸能』『日本の芸能』の始原に行き着くことを知るだろう。
芸能を知れば知るほど差別の根源がわかる。
芸能が依って立つものこそ『大衆の心』である。
それは、私の持論であり深く大衆演劇に興味と関心を注ぐ原点でもある。