〇 関東大震災から丁度100年をむかえる今年に過日の大惨事に思いをはせ黙祷する。
〇 予告編 〇
〇 概要
2023年 / 日本 / 81分 / 記録映画保存センター 配給
演出 井上 実
語り 土井美加
製作 村山英世
関東大震災を撮ったキャメラマンとそのフィルムの物語
関東大震災 ―
倒壊した帝都東京を記録した映像が残されている。猛火に追われ大混乱のさなかにこの映像は誰が撮影したのか。音もない、モノクロームの記録フィルムが、世紀を越えて今、語り始める。
1923年9月1日午前11時58分。マグニチュード7.9の巨大地震が東京、神奈川を中心とする関東地方を襲った。激震は建物を倒壊させ、木造家屋が密集する地域は火災により焦土と化した。10万人を超える死者を出した関東大震災である。
当時、記録映画は〈出来ごと写真〉〈実況〉と呼ばれ速報性・真実性が追求される新しいメディアだった。キャメラマンたちはその担い手として被災地に向かった。
現在、手記や回顧録、遺族たちの証言などによって震災直後を撮影したキャメラマンは3人判明している。岩岡商會の岩岡巽。日活向島撮影所撮影技師の高坂利光。東京シネマ商會の白井茂だ。
3人は誰に命令されたわけでもなく、夢中で手回しキャメラをまわした。逃げさまよう避難者からは “こんな時に撮影してんのかよ!”という罵倒や暴力にもあった。映像からは惨状とともに、この災害を残さねばという彼らの強い使命感が伝わってくる。3人が撮影したフィルムは複製され、バラバラに構成されて全国の映画館や集会場で公開された。そのフィルムのいくつかは世紀を越えて現代に残り、デジタルアーカイブ化が行われている。アーカイブは、自然災害が多発する日本で生活する私たちに、被害のすさまじさを伝える記録として、今も生き続けているのだ。
重いキャメラと三脚を持って、キャメラマンは被災地をさまよいながら何をみたのか。撮ったものはどのような映像だったのか。そして残されたフィルムから何を知ることができるのか。
関東大震災を撮ったキャメラマンとそのフィルムが今、私たちに語りかけてくる。
映画フィルムが伝えるもの
映画保存とは、何を残し、何を伝えることなのか。フィルムやビデオというメディア自体を適切に残すことも、そこに映る人々の姿や街の光景などから得られる膨大な情報や映画の時間が紡ぐ物語世界を正確に伝えることも重要だ。しかし、その映像は、あくまでも撮影者がファインダー越しに捉えた像なのである。そこには必ず人のまなざしが介在する。この当たり前の真実に、『キャメラを持った男たち』はあらためて思いを至らせてくれる。狂暴な火焔と容赦ない倒潰、溢れかえる避難民と無残な遺体を前にして、撮影者は何を思い、何をフィルムに収めたのか――さまざま制限とバイアスから逃れられない、個人的で主観的な体験の記録であるがゆえに、映像による災害誌は、数字や統計、文書では実感することができない現場の切実さを、100年後の別世界を生きる私たちにも共有させてくれるのである。
〇 生きた証人の声
〇 私のみたまま、感じるまま 〇
関東大震災から9月1日で100年を迎えた。大正文化の花開いた東京などが灰燼に帰し、10万5000人近くが犠牲に。改めて追悼の誠を捧げたい。
映像はモノクロであるがその悲惨さをつぶさに伝えてくれる。カメラマンの捨て身の記録の賜である。避難し逃げ惑う人垣の中で、艱難を見つめ平然とフィルムを回す所業は場をわきまえないくせ者と思われたであろう。しかし、そんな中で記録として残り続けたのは希有な撮影技師達のお陰である。なかでも、岩岡巽、髙坂利光、白井茂のお三方ご活躍がなければ、これほどの記録は今日に伝わらなかったであろう。
いま、こうして、多くのことを学べる映画に出会うことができたことに感謝し、敬意の言葉を捧げたい。この映画にはありのまま、余事を交えず、忖度せず伝えるという報道メディアの原点がある気がする。
将来同規模の大地震が起こり得ると予測されている。防災への備えは絶対に必要だ。危機管理からである。また、流言飛語で多くの朝鮮人が殺害されたことも忘れてはならない。このことに関しては最近のNHKアーカイブをぜひご覧いただければと思う。
さらに、加えれば多くの被害を出したところが大衆文化のメッカ、浅草だったことだ。
それは、当時の映画人最大の関心事だった。
そして、映像によると多くの死者は焼死によって命を失っている点だ。
これからの震災対策の中で都市計画、道路、余裕のある避難地をしっかりと組み込んだ再開発も重要だと痛感した。