〇 介護現場の事件を扱った問題作である
〇概要〇
- STORY
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堂島洋子(宮沢りえ)は、作家として成功を収めていたがスランプに陥ったことを機に重度障害者施設で働き出す。陽子(二階堂ふみ)、さとくん(磯村勇斗)といった同僚と共に入所者たちの対応にあたる洋子は、自分と生年月日が一緒の入居者きーちゃんと親身になっていく。そんな中、ほかの職員による入所者への冷淡な扱いや暴力を知ったさとくんが、自身の抱く正義感や使命感を増幅させるあまりに、ある行動に走る。
- キャスト
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宮沢りえ、磯村勇斗、長井恵里、大塚ヒロタ、笠原秀幸、板谷由夏、モロ師岡、鶴見辰吾、原日出子、高畑淳子、二階堂ふみ、オダギリジョー
- スタッフ
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監督・脚本:石井裕也
原作:辺見庸
音楽:岩代太郎
企画・エグゼクティブプロデューサー:河村光庸
製作:伊達百合、竹内力
プロデューサー:長井龍、永井拓郎
アソシエイトプロデューサー:堀慎太郎、行実良
撮影:鎌苅洋一
照明:長田達也
録音:高須賀健吾
美術:原田満生
美術プロデューサー:堀明元紀
装飾:石上淳一
衣装:宮本まさ江
ヘアメイク:豊川京子、千葉友子
特殊メイク・スーパーバイザー:江川悦子
編集:早野亮
VFXプロデューサー:赤羽智史
音響効果:柴崎憲治
特機:石塚新
助監督:成瀬朋一
制作担当:高明
キャスティング:田端利江 - 上映時間
- 144分
〇予告編〇
〇わたしの見たまま・感じたまま〇
知的障害施設で実際にあった介護師による19人の殺害事件をテーマにした辺見庸の小説がベースの映画である。とても、見てよかったと思える重厚な作品だった。
終始一貫、宮沢りえと磯村勇斗の演技力にすっかり魅了された。とても、表現がセンシティブで難しさがともなう作品だ。感情の微細な変化を表情、言動、振る舞いのすべてに現さねばとても荒っぽい凄惨な映画になりそうな作品なのに、ここまで内面の心理を演技化する力量に感服した。
ひと言で言えば暗い映画である。テーマも重い。どこまでが悪で、そして善なのか‥本来、そんな境界などないのかもしれない‥誰でも踏み越えていく心の闇みたいなもの、それが、いや、その一端を垣間見る映画だ。社会の中には確かに存在するのに、多くの人が目を背けようとしている。さらに言えば目を背けている自覚もなく、“ないこと”になっている問題。そのひとつが知的障害者福祉施設であったり、精神科病棟の40年以上にも亘る超長期入院者の問題だ。
そこで、働く人達(看護師・介護士)の方々がどんな思いで入所者に接し関わるか、最初の動機が
過酷な現場の労働の中でどう変化していくのか、ある種の自身の規律のようなものを持たないと
メンタルが維持できない過酷さがあるのではないかと感じさせる映画である。
異常と正気の境目をすり抜けた先に、命の苦痛を楽にしてあげることが「善」ではないのかと
思えてくる境界線(独特の価値観)を看護師のさとくんはみていたのかもしれない。
その意味で、誰でもが見てはいけないものを、隠しておきたいものを見たときに揺れる心を抑えることが至難になるのではないかふと思う。
このような心理変化を映像化する演技、演出にはどれほどのご苦労を伴うのであろうか
とても至難の映画であっただろうと推測する。ここまで描ききるすさまじさに長時間、私は釘付けになった。
話は、飛躍するが人は人を裁くことはできない。必ず最低の規範として「法」の必要性は不可欠だ。
しかし、「死刑」という刑罰は廃止すべきだ。それは、殺戮、戦争を肯定する最大の論理になるからだ。
命とはなにか、私には重くてわからないが、いつの世も人の世に命があること自体が尊いという価値観になってほしいと願うばかりである。
よく、のら猫の餌付けをする人が近隣の問題となり同時に殺処分は絶対にあってはならないと反対ののろしが上がる。猫は殺してはいけない、だが平然と牛を殺して食している人間がいる。
だが反対を声高に叫ぶ人はいない。なぜなのだろう‥考えれば余計にわからなくなる。
人間にも古来はあった。京の奥深く岩倉一帯は病み捨ての里と呼ばれ不治の病の人が肩を寄せて暮らしていた。楢山節考に見られる姥捨てもそうである。
都合の悪いことは見えないようにする、見ないことにするという時代はとても不健全で、すでに精神が病んでいると言えまいか。
病んでいると言えまいか。